2006年10月20日

『銀河鉄道の夜』を観た

プラネタリウム番組『銀河鉄道の夜』を観た。

素晴らしい。
視界全体が映像の世界観で埋まるので、そのリアリティには格別なものがある。

人間は、自分が地軸に対してどのような状態にあるのかを判断するとき、視野内にある垂直線を判断材料のひとつとして用いているそうだ。

だから、例えば演劇の舞台なんかをつくるときには、意識的に垂直、水平のラインを作らないようにして、客を演劇の世界に引き込もうとする手法がある。

プラネタリウムのドームを使った映像というのは、視野いっぱいにその世界が広がるので、当然そんな判断材料は奪われ、結果としてなんともいえない浮遊感のようなものを味わうことが出来る。

映像が写実的かどうかは、リアリティとは関係ないというのを実感できる作品でもあると思う。
逆に言えば、これを体験してリアリティを感じない人というのは、単に身体機能が他の人と大きく違っているか、リアリティという言葉の定義について誤解があるかのどっちかではないか、と思う。

それにしても、そういうリアリティを作り出す素地は、確かにプラネタリウムのドームにあるのだろうけれど、それを効果的に使う事が出来るかどうかは映像を作る際の問題だ。

この『銀河鉄道の夜』は両方の要素が良く生かされていて、その意味でも、とても素晴らしい作品だと思った。


posted by McGand at 12:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月04日

続きもの

僕は、続き物でありながらまだ途中までしか書かれていないもの、つまり現在進行中の作品というのを最後まで読むのが苦手だ。

どんなに面白いと思った作品でも、その時点で出来ているところまで読んだら、続きの部分が後から出てきても読まない事が多い。

そういう作品を数え上げればキリがなくて、例えば漫画だと「マスター・キートン」、「モンスター」、「ベルセルク」、「デス・ノート」あたりがぱっと思いつく。
他にもたくさんあるはずだけれど、すぐには思い出せない。

小説だと「ゲド戦記」あたりは、自分でも残念だと思うくらいなのに完読していない。
最初の3巻を読んだときには完成された作品だと思ったし、それを読んでいる間はとても楽しく過ごせた覚えがあるので、どうして続きを読もうとしないのか自分でもよく分からない。
読みたくないわけではないのに。

世の中には、僕と同じようなタイプの人は結構いるはずだと思うのだけれど、そういう人たちは一体どうやってそれを克服して、続きを読んでいるのだろう。
とても気になる。
posted by McGand at 21:43| Comment(9) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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