2006年11月03日

あのゲームを超えるゲームはない

自分が本当に面白いと思ってハマったあのゲーム。
あれと同じ興奮を味わえるゲームがないのはどうしてだろうか。

簡単に結論を言ってしまえば、何かにつけて、人は慣れる、ということに尽きる。

悲しいことには、なるべく早く慣れてしまうのが楽だ。
もし慣れるという機能が人に備わっていなければ、生きていくのは大変困難な事になるだろう。
忘れてしまえないような事は、いつまで経っても悲しいままだ。

楽しいことに慣れてしまうのは残念だが、もしそうならなければ、いつまでも同じ事を続けているだろう。

どちらも、もし全ての人がそうだったら、それなりの世界があったはずで、その是非を言うつもりはない。
ただ、人は慣れるという事実がある。

ところで、楽しいことに慣れてしまった状態を「飽きる」という。
人は慣れるから、どのような事でも大抵いつかは「飽きる」。
(中にはもう飽きているのに止められない、なんて人もいる。これを依存症というのだろう)

そして一旦慣れてしまったら、同じような楽しみを探しても、実は見つからない。
それは対象がつまらないからではない。自分が慣れてしまったからだ。

本当に面白いと思ってのめり込んだゲームに一度飽きてしまったら、それと同じものを求めて遊ぶ限り、どんなゲームを遊んでも、二度と同じ興奮はない。
あの感動と興奮をもう一度、という気持ちはよく分かるが、そこに出てくる「あの」こそが、再びそれを手にいれる事を阻む部分なのである。

よくある議論に、同じようなタイプのゲームAとBのどちらが面白いか、といったものがある。
しかし、こういう話はどこまでも平行線を辿る事が多い。
どちらかが筋の通った話を展開すれば、もう一方は黙るか納得するかも知れないが、にも関わらず自分の支持するゲームが面白くないとは思わない。

大抵の場合、それはその人がどちらのゲームに最初に触れたかで決まる。

仮にAよりもBのほうが、やや劣ったゲーム性をもったゲームだったとしよう。
しかし、ある人はBを先にプレイし、初めての感動と興奮を味わったのであれば、似たようなゲームであるAを後からプレイしても、Bをプレイしたときほどの感動と興奮は味わえないだろう。
仮定から言えば、AのほうがBよりも優れているはずなのに、である。

同じ興奮を求める限り、自分が始めて興奮したゲームを超えるゲームはない、というのはこういう理由なのである。

※実を言えばこの話には、「人は初めての刺激に弱い」という要素も含まれているのだけれど、話が分かりにくくなるので、その話はまたいずれ。


posted by McGand at 09:43| Comment(5) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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