2007年11月16日

後悔するほど遊ぶ 後悔できないほど遊ぶ

「後悔するほど遊ぶ」が面白い。

遊ばずにはいられなくて、まずいと分かっていても止められない。
さんざん遊んだあとで、この時間をもっと他のことに使っていたら一体何が出来ただろうと後悔する。

それがどんな遊びかは別にして、たぶん多くの人はそういう経験をしてるのだろう。
僕ももちろん経験があるので、とてもよく分かる。


ところでこの記事では、後悔する遊びとそうでないものがあるようだ、その違いは一体なんだろう、というあたりにも触れていてなかなか面白い。
ここでは、その遊びが社会的にどのような認知を得ているかに関係しているのではないか、という風な事を言っていたが、とても興味深いテーマなのでメモ程度に自分の考えを書いておこうと思う。


僕としては、社会的に十分な認知を得ている仕事をしていたって、どうしようもなく虚しいと感じる人はたくさんいる(らしい)一方で、どんなに遊び倒しても「あ〜楽しかった」ですんでしまう人もいることから、ちょっとその方向での説明は苦しいように思う。

なんであれ、その行動の将来に対する意味を問わない人たちもいて、そういう人たちは、遊びすぎた結果として失われた時間を思って後悔する、ということは無いように思う。

失われた時間を使えば別の何かを生産できていたとして、そちらのほうが価値があると考える人は後悔するかも知れない。
でも、何かを生産することに価値がある、と思っていなければ、その意味では後悔はしないのである。

だから、社会的な認知が自分の後悔と関係しているというのは、社会的な価値観とその人の価値観が近いところにあるということを示しているに過ぎないのだろう。

後悔するかしないかは、もっと個人的な問題なのだと思う。
しかし…その行為が娯楽であるせいなのか、それとも
人は過程だけでは満足しないのか、後悔が生まれる。

過程だけで満足できるほど遊ぶべし、という話しなのかも知れず。


posted by McGand at 08:46| Comment(2) | TrackBack(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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