2011年07月02日

そしてらくがき

多分、ありもしないものを、まるで存在するかのように思わせる技術やアイデアというものに、僕はずっと昔から憧れてきたのだと思う。それは絵や視覚情報だけに限ったことではなく、そんな風に思う、感じる、ことができれば、僕にとってはやり方はなんでも良かったのだろう。

トールキンの『指輪物語』はすばらしいし、東京ディズニーランドには感心するし、拡張現実(よくARと呼ばれている)のようなテクノロジーにはとても興味がある。

自分でもそういったことができるようになりたいと、まだそんな自覚がない頃から絵を描いていたように思う。
多分これからも、そんな事を続けていくのだろう。

loukken_illust_110630.jpg

「どうだいこの世界観は!」
「だるまさんがころんだ?」
技術が未熟だと、ちゃんと伝わらないこともある。


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2011年06月17日

らくがき

loukken_illust_110617.jpg


ちょっと暇のある時期になったので久々に落書きした。
落書きは楽しい。

もっと暇があればもっと絵が描けるのに、などと思うが暇ができたらできたで遊び倒して無為に時間を過ごしそうな気もする。
無い時間の間隙を縫ってゲリラ的に落書きするのが一番楽しい、ということなんだろうか。
とはいえ、忙しすぎるのは良くない。落書きのひとつもできないほど忙しいなんてのは、そもそもまともな生活とは言えない。実感としてそう思う。つくづく。

これからも落書きが出来る程度の忙しさであって欲しいものである。
ラベル:
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2011年05月21日

Wizardry Online

Wizardry Online

「短い時間にさくっと遊べて日常の隙間を埋めるようなゲームが流行る最近のトレンドに逆らって、あえて難しくて心が折れそうなゲームを作りました。キャラロストの恐怖を乗り越えて達成感を味わってください」

的な説明がなされていた。
どうやら一人で遊ぶのも困難なようで、はたして今の時代に成立するのか心配なのとともに興味深くもある。

「何の準備もなくダンジョンに入り気軽に歩き回ってると帰ることすらできなくなることもあります」
「復活に失敗すると灰になり、更に失敗するともちろんキャラはロストします。Wizですから」

死の恐怖のない世界に生き残る喜びなどない、というのはその通りだと思う。
生きているのが当たり前の世界では、うっかり人が死にそうになったときに、それが誰の責任かを追及しようと躍起になったりするが、そもそも死は理不尽な形で訪れるものであってそれが当たり前の世界では、あるいは人々は協力して生き残ろうとするのかも知れない。

「PK(プレイヤーが他のプレイヤーを襲う行為)も可としました。緊張感を楽しんでください」

しかしPKがあるので、理不尽に訪れる死の原因は、実は多くの場合他人によるものかも知れない。
そうするとこのゲームの楽しみを優先度順に並べると次のようになるのだろうか。

 1) 隣人すら理不尽な死の原因となりえる世界を生き抜く
 2) 敵でもあり得た他人同士が協力することによって困難と死を乗り越え達成感を得る

しかし「一人で遊ぶのが困難なゲームバランス」になっているとしたら、これらも成り立たないように思う。なぜなら、最優先の楽しみである「隣人すら理不尽な死の原因となりえる世界を生き抜く」部分は、すぐれて個人的なものだからだ。

敵かも知れない他人は拒否することができなければならない。しかし一人で遊べないのだとしたら、事実上はその選択肢を与えられていないのと一緒だ。いやいや信用できそうな人を選ぶことは出来る、というならば、厳しい世界を生き抜くための選択肢が人探し、という事であってそれはつまり人探しゲームである。

恐らくだが、ゲームの開発者としては、(1)か(2)を楽しみの中核に据えたいと考えているのだと思われるので、結果としては「一人でも遊べる」あるいは「PKは基本的になし」のどちらかに進むような気がする。

あるいは僕の想像などおよびもしないような組み合わせが存在し、新たな興奮があるのかも知れない。
いずれにせよ、とても気になる作品ではある。
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2010年08月20日

歯並び

欧米社会では、歯並びの悪さは相当に印象が悪いらしい、という話をよく聞く。
ちょっと検索してみても、その話は割りとすぐにひっかかる。

僕は前歯が明らかにおかしいので、別に欧米社会は関係なく、気になってしまう。
ところがその一方で、いつもそれでいいじゃないかって思う自分がいる。
それは、もう死んでしまったおばあちゃんが言った言葉に原因があって、それはいまも忘れられない一言だ。

「お前は笑うと、その曲がった前歯が時々見えて、それが本当に愛嬌がある」

このおばあちゃんは明治生まれの人だったので、今とは価値観も相当違っていたと思う。

もちろんおっさんになった今、その歯のおかげで愛嬌がある、なんてことはあり得ない。
ほんとはとっとと直すべきなんだろうけれど、お金もかかるし何より本気で直そうという気持ちにならない。
それはきっと、僕がそのおばあちゃんのことを好きだったからなんだろう。

一般的に言ってマイナス要因なのは分かってて、だから人前に出るとちょっと気後れする部分はある。
全ての人にそんな話をして回るわけにもいかないし、そんなの誰も興味ないわけだし。
けれど一部の近しい人々の間では、いつでも説明できるし、そんなときはむしろ誇らしく思う。

誇らしく思うのは、自分の歯のことではない。
かつて日本には、そういうものに価値をおくことの出来た時代があったのだ、という部分に対してである。
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2010年06月22日

氷解す

前々から何かが気になっていて、でもそれがなんなのか分からなかったのだけれど、この人のおかげでついにそれが分かった。

http://48085.diarynote.jp/200705081934000000/

くりぃむしちゅーの有田と映画スリーピーホロウのクリストファーウォーケン。
似てる。
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2009年12月23日

指先から稲妻、ではなく

「稲妻の制御」をめざす米軍

魔法使いの技ですなぁと。
記事そのものは結局なにがどの程度進んでるのかいまいち分からんが。

SF 科学 錬金術 魔法 

科学、錬金術あたりは制限に対する挑戦という意味でロマンがあると思う。
SF,魔法(ファンタジーと書くほうが良いだろうか)はそれらの表現系だと思うが、にもかかわらず魔法にロマンはないだろ、と言われると言い返しにくい。

結局、魔法は説明抜きに存在が肯定される七色のブラックボックスで、制限がないのだから超えるべき壁もなく従って挑戦もないのであってそこにロマンはない、という事だと思うが、だからこそ注意深く作ってロマンが感じられるものにしてくださいねと心の底から願う次第。

それはともかく、もともと自然界にある現象を何らかの手段を使って制御しようとか、自然現象の時間の経過を早めたり遅くしたりすることで何かを作り出そう、とかいうのは錬金術の思想で、そこにはロマンがあると思う。

そういう文脈において、稲妻の制御は魔法使いの技だなぁと言いたくなったというのが今回の話。
指先から稲妻放電して一瞬で何百人も丸焼きにしてヒャッハー!とかそういう話ではない。

それにしてもロマンという言葉を使うのはなんでこんなにおもはゆいのか。
そしておもはゆいって今でも使う言葉なんだろか。
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2009年10月18日

復讐

いろいろ過去の作品とかをあさっていたら、随分昔のがでてきた。
今見るとちょっと恥ずかしいが、最近剣と魔法値が下がっているので昔を懐かしみつつ出してみることに。


適当なシナリオをでっちあげて、挿絵風味にした連作。
まず物語全体の雰囲気が分かる表紙絵。
avenge_0.png

どこかの領主の娘が、その家族ごと凶悪な強盗団に襲われる。
(確かこの強盗団の首領も、もとはそれなりの階層民だった気がする)
城壁の上から娘は叩き落される。
avenge_2.png

瀕死の娘のもとに亡霊の王が訪れ、魔法のティアラを授ける。
avenge_3.png

ティアラの助けを借りて娘は復活。亡霊たちも彼女を助ける。
avenge_4.png

娘、復讐に成功。自分では手を出してないあたりが面白い。
avenge_5.png

復讐を果たして娘死亡。
avenge_6.png

クライマックスシーンのイメージイラスト。
avenge_1.png

強盗団の首領の背景、亡霊王と死んだ領主の関係、ティアラと亡霊たちの関係、亡霊王と娘とティアラの間にあるルール、とかを詰めていくとそこそこ楽しめそうなシノプシスみたいになってると思う。


そういえばAvengerっていうと、Age of Mythologyのエジプトのユニットにいた気がする。鳥の頭をもってて翼のついた腕を振り回す強いヤツ。
そしてその見た目といえば即座に思い出すのがAviak。
お世話になりました。
ラベル:
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2009年10月14日

たいやきはどこから食べる?

先日テレビのCMで、たいやきをどこから食べるかというシーンを見かけたときのこと。
6歳になる子供と一緒にそれを見ていたのだが、子供がおもむろに僕に質問してきた。

「おとうさん、おとうさんはたいやきどこから食べる?」
「ん〜 おとうさんは頭から食べるかなぁ」
「ふ〜ん。僕は口から食べるよ」
「・・・・」
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2009年08月23日

Project Natal

そういえばE3で発表されたProject Natal。



どっかの記事で呼んだけど、これを紹介したマイクロソフトの担当者が「従来のコントローラーだと操作が難しくてついてこれなかったカジュアル層にも、簡単な操作でコアなゲームを遊んでもらうことができますよ。」的なことを言ってたような。
しかし、コンソールのコントローラ操作が難しいからと言って断念するようなカジュアルプレーヤーが、操作が簡単になったからという理由でコアな内容のゲームを遊ぶようになるんだろうか。ないだろ。普通に考えて。

それはそうと、Wiiについて思うこと でも述べた通り、こういうのは根本的になにか新しいものにはなり得ないと思う。(ビジネス的にどうかというのは僕にはなんとも言えない)

しかしこれらの技術は、将来出てくる(出てきて欲しい)新しいデバイスへの過渡期のものなのだという意味でとても楽しみではある。
その新しいデバイスは、なんらかの形で出力系に工夫があるはずだ。そうしてこそ新しい興奮が生まれ得る。

そちらには(ひょっとすると過度な)期待を寄せている。
posted by McGand at 22:48| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月13日

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が気になる

長いこと放置しといて久しぶりに更新したかと思ったら剣でも魔法でもないというあたりに何か感じなくもないですが。

そんなことはともかくNHKスペシャルドラマで「坂の上の雲」やるらしいよ、という話を聞いたのでちょっとサイトをのぞいてみたら見たくてたまらなくなってきた。

秋山兄弟のキャスティングは素晴らしいと思う。
これを3年もかけて生殺し状態でひっぱるとかやめて欲しいんだが。
途中で悶え死ぬかも知れん。いや指輪物語もがまんできたんだしなんとかなるか。


ごく簡単に物語の説明をすると、日進日露戦争時の日本を語った物語で、日本がじわじわとロシアの脅威にさらされ、やむなく日露戦争に突入し、勝てるはずのない戦争にかろうじて勝った(負けなかった)という話。

明治の日本人が、それこそ右も左も分からないような列強の間に踏み込んで、自分達の位置を見据えながら、せめて自分達の自立だけは守りたいと奮闘した様が語られる。

小説をそのまま歴史として認識することはできないけれど、司馬遼太郎氏の丹念な調査に基づく語り口が、当時の雰囲気を活き活きと伝えるように思う。


原作を超える映画なしとはいうけれど、楽しみにせずにはいられない。
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2007年11月16日

後悔するほど遊ぶ 後悔できないほど遊ぶ

「後悔するほど遊ぶ」が面白い。

遊ばずにはいられなくて、まずいと分かっていても止められない。
さんざん遊んだあとで、この時間をもっと他のことに使っていたら一体何が出来ただろうと後悔する。

それがどんな遊びかは別にして、たぶん多くの人はそういう経験をしてるのだろう。
僕ももちろん経験があるので、とてもよく分かる。


ところでこの記事では、後悔する遊びとそうでないものがあるようだ、その違いは一体なんだろう、というあたりにも触れていてなかなか面白い。
ここでは、その遊びが社会的にどのような認知を得ているかに関係しているのではないか、という風な事を言っていたが、とても興味深いテーマなのでメモ程度に自分の考えを書いておこうと思う。


僕としては、社会的に十分な認知を得ている仕事をしていたって、どうしようもなく虚しいと感じる人はたくさんいる(らしい)一方で、どんなに遊び倒しても「あ〜楽しかった」ですんでしまう人もいることから、ちょっとその方向での説明は苦しいように思う。

なんであれ、その行動の将来に対する意味を問わない人たちもいて、そういう人たちは、遊びすぎた結果として失われた時間を思って後悔する、ということは無いように思う。

失われた時間を使えば別の何かを生産できていたとして、そちらのほうが価値があると考える人は後悔するかも知れない。
でも、何かを生産することに価値がある、と思っていなければ、その意味では後悔はしないのである。

だから、社会的な認知が自分の後悔と関係しているというのは、社会的な価値観とその人の価値観が近いところにあるということを示しているに過ぎないのだろう。

後悔するかしないかは、もっと個人的な問題なのだと思う。
しかし…その行為が娯楽であるせいなのか、それとも
人は過程だけでは満足しないのか、後悔が生まれる。

過程だけで満足できるほど遊ぶべし、という話しなのかも知れず。
posted by McGand at 08:46| Comment(2) | TrackBack(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月27日

怒りパワー

圧倒的優位の敵に遭遇
 ↓
今にも死にそうになる
 ↓
なんかのキッカケで怒り爆発
 ↓
勝てるはずのない敵に勝利
 ↓
最初に戻る


この構図だけを繰り返して成長のお話しだと言われてもなぁ。

まぁ成長と言えば成長なのかも知れんが、そこから学んだのは「キレる」ことによって何かが解決したというろくでもない経験だけではないのかと。
「キレる」ための理由にバリエーションはあるみたいだけどさ。

だから主人公的には、何回かそれをやったなら、どうやれば効率的に怒りパワー炸裂の状態にたどり着けるのかくらいは考えたほうがいいと思うんだ。
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2007年09月22日

GLOBARANGEのレンジ外な日本

ようはIP電話なんだけど家電的な扱いってのがステキなグローバレンジ
GONZOのアニメも分かりやすくていいなぁなどと思いつつ、こんなカンジの気になる商品。

松下が作ってるんだから最初のサービス開始地域に日本が入ってないのは不自然じゃないかと思うんだけれど、まぁできないんだろう。
いろいろ勘ぐってしまうけど、この際それはどうでもいいから早く日本でのサービスを開始して欲しいところ。

端末バリエーションを作る際には白っぽい球体仕様でパランティアという商品名のヤツを期待。
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2007年08月30日

黒騎士

先日データを整理していたら、随分以前に作った画像が出てきた。
これを見ると、大分前から自分の頭の中にあるものは変わってないらしいことがよく分かる。喜ぶべきか悲しむべきか。


visitor.jpg

「お前は死を目にして死を知らぬのか?さあくたばって、空しく呪うがいい!」
「いいから仕事しろよ」
ラベル:
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2007年07月06日

ホログラフと仮想現実

ディーゼルのファッションショーでホログラフを使った演出があったそうで、Youtubeにその映像が上がっていた。
http://www.youtube.com/watch?v=CCcTRjxP-Fc&eurl=http%3A%2F%2Fwww%2Enitenichiryu%2Eorg%2F

TDLに行けば必ずホーンテッドマンションに入り込んで、ホログラフ(なのかそれっぽいだけなのかは分からないけど)の幽霊達を見ては鼻息を荒くする僕としては、こんな映像を見せられて悶絶しないわけはなく。

よく仮想現実と現実(「リアル」という言葉が使われることが多い)の対比を言う人たちがいるけれど、僕は昔からそういう話の展開にはあまり興味がない。

結局のところ自分の脳が何に対して「自分にとっての現実味」を感じるかが全てで、仮想かそうじゃないかは関係ないと思うのだ。

皮膚を通して得られる感触によってその「現実味」を実感する人と、頭の中だけで完結する、例えば概念のようなものに「現実味」を感じる人と両方いるでしょ世の中には、ってだけの話だと思う。

ただ、仮想現実と現実という分けかたは、素朴な感覚として分かりやすいと思うから、その二つに厳密な違いはないんだ!なんて無理に言うつもりはないけれど。
対立する概念として話を進めるのはナンセンスだなぁと思うだけの話。

ホログラフは仮想現実が現実に漏れ出てきたような感覚がとても面白い。

こっちのグローブの件もそうだけど、仮想現実の要素がどんどん現実へとアプローチしてきていて楽しみな事だらけだ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/992844.html

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2007年06月12日

麹の部首の響きがステキすぎる

ちょっと必要があって、「麹(こうじ)」という字を調べていたときのこと。
この字の部首は一体何なのかという話になって、漢和辞典のお世話に。

どうやらこの部首は「麦」だそうで、「ばくにょう」と言うらしい。
(日本語変換だと簡単なほうの字が出てくるので、部首が麦なのは分かりやすいが、調べていたときは難しいほうの字だった)

だからどうしたという話なんだけど、この響きがなんだか。

とりあえず変換してみたら最初に出てきたのは「縛尿」だった。
う〜ん・・・。
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2007年06月10日

らくがき

今日はいい塩梅に時間が出来たので、時々描いてる落書きを進めてみた。
落書きは楽しい。
Velguitt_01.jpg


ところでこの落書きとは全然関係ないけど、「アサシン・クリード」というゲームが気になる。
プレイヤーはムスリムで、十字軍の要人を暗殺するゲームとのこと。
ゲームプレイとか見ると、なかなかいいカンジに見える。
http://www.youtube.com/watch?v=qvs9FxCxvy8&mode=related&search=

ん〜 こういう絵作りは楽しそうだなぁ・・・
ラベル:
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2007年05月18日

EVE Online

以前から気になってはいたが手を出せなかったゲーム「EVE Online」。
この記事によるとどうやらこれが日本語環境で遊べるようになるらしい。
しかも日本語サーバを用意するのではなく、海外と同じサーバを使うとのこと。

以前からそういう風な環境を提供してくれるMMOはないものかと思っていた(し、自分の周りでもそれを希望する声は多かった)のだけど、それを実現する最初のゲームが剣と魔法じゃないのはちょっと残念だ。

とはいえ、SFは詳しくはないけれども好きではある。
最初はなんとなくかっこいいと思うものを追っかけてるうちに、ありもしない世界がだんだん存在感を増していくあたりは、剣と魔法の世界と同じ事なのだろう。

とても楽しみだ。
posted by McGand at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

LOTROかVGか、あるいは

『指輪物語オンライン』の日本語版がクローズドベータ開始してからは、あっちこっちから「やらないの?」的なことを聞かれる。

そりゃもちろんやりたいに決まってる。
しかし現時点ではどちらかというとVANGUARDのほうが遊びたかったりしつつ、どちらも遊べてなかったりしつつ。

個人的には、LOTROに望むものは当然、ミドルアースに生きる実感を得られるかどうかなんだけれど、実際にそういうつくりになってるんだろうか。

EQを作った人たちは、別の世界に生きることを実現しようとしていたように思うし(みんながそういう風に遊んだかは別の問題だけど)、その意味ではEQの初期スタッフが作っているVGのほうが楽しみだ。

しかしVGのほうはグループ組まないと遊べなそうだし、それこそが面白いところだというのは分かるけど実際にそうなると時間も含めていろいろ困る。
そこでLOTROがどうかという話になるわけだけど、どうなんだろう。
そもそもどちらにせよ、望んでるものなんかないかも知れない。

遊んでみればいい話だと思うけど、うっかり面白かったらどうしよう。
また意志の弱い僕は遊びすぎてしまうに違いない・・・。

「オラ、こんな風にふたつかみっつに引き裂かれちまってますだ」
posted by McGand at 11:48| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

偉大な老魔法使いは消えた

近頃のファンタジー世界では、やけに若い魔法使い達が大活躍し、世の中のことはなんでも知っていたりするわけだけれど、
『老人が尊敬される時代は終わった』
みたいな記事を読めばそれもよく分かるというものだ。

「魔法使い=賢者=老人」という構図に執着する僕としては、近頃の老人が何故これほど威厳を保てないのかについて考える事が多かった。
それでその理由についていろいろ考えがあったのだけれど、この記事はとてもよくまとまっていたので、書くことは無くなった。

それはともかく、老人が賢く見えなくなったこの時代に、賢者たる魔法使いが老人だったりすると、むしろリアリティがないのだろう。

時代に敏感な作家ならば、当然書いても売れないような要素は入れないから、物語の中からも「偉大な老人」はますます減っていく。

老人の魔法使いといえば敵役で、今では失われた「偉大な老人」の幻影を象徴する。
それは「偉大な老人」などいなかったと告げる。
周りがバカだっただけで、しかし今ではそれも克服された。
そうして彼は、若さあふれる魔法使いに打ち倒される。

分かりやすい事、共感できる要素はとても大事だ。


それでも、子育てに翻弄される母親は、もし可能ならば自分の親に尋ねるだろうと僕は思う。
自分を育てたときはどうやったのかと。
posted by McGand at 03:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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