2006年05月06日

アインシュタインとアラゴルン

アルバート・アインシュタインは腹部の動脈瘤の破裂で死んだらしい。
死に至る前、外科手術による延命処置を拒否して、彼はこう言ったそうだ。
私は望むときに旅立ちたい。
人工的に生命を長らえるのは無意味である。
私の役割は終わった。
今旅立ちの時だ。
わたしはそれをエレガントに成し遂げたい。

このエピソードを読んで即座に思い出したのは、アラゴルンだった。
彼はヌメノール人の最後の王であり、「己が意のままに世を去り、この授かりものをお返しする恩寵も与えられている」のだという。
アラゴルンは、最期をみとるために傍らにいたアルウェンに言う。
ご覧!われらはいつまでもこの世に縛られているのではない。
そしてこの世を越えたところには思い出以上のものがあるのだ。
ではごきげんよう!

いくらヌメノール人とはいえ、それは人間であってエルフではない。
人間が死んだ後どうなるかは、誰も知らないわけだから、死はやはりこの世界においても恐ろしいものであるハズだ。
それを自分の意思で受け入れる、という点において、アインシュタインとアラゴルンの死は似ている。

それは、人間が成し得る理想の死の形式のひとつだと思う。


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2006年05月04日

探す 捜す

そこにある事が分かっているものはいずれ見つかる。
そこにあるかどうか分からないものは、あってもなかなか見つからない。

昔からいろんな人が、いろんな言葉でその事を言ってきた。

今日は、CDのケースを捜しながらそんな事を考えた。
卑近な例でなんだけど。


drawing_001.jpg

ところで、捜したわけでもないのにラクガキが出てきたので載せてみる。
剣と魔法に関係ない絵って、ここにのっければいいんだなと今頃気づいた。
ラベル:
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2006年04月15日

勧善懲悪に陥らない?

「勧善懲悪に陥らないことで、深みのあるファンタジー作品となった」なんて言葉を見かけることがある。
僕はこれがどうにも納得いかない。

勧善懲悪ということと、物語に深みがあるということには関係がないし、勧善懲悪に陥った(?)ファンタジーに深みがないなんていうのも馬鹿げてる。
そもそも「勧善懲悪に陥らない」っていうフレーズがどうにも鬱陶しい。

現実には、絶対的な善悪の判断はありえないことぐらい、言われるまでもない。
だからこそ、せめて物語の中では、その光と影のコントラストを楽しみたいのだ。

例えばファンタジーの代表ジャンルのひとつである、剣と魔法の世界は、そこに東洋的な善悪の相対思想を持ち込めば、物語の力強さは失われる。
それ自体の良し悪しはどうでもいい。それが好きな人もいるだろう。
けれど、そうやって、本来ファンタジー(ここでは剣と魔法の世界)がもっていた光と影の対比を弱める事で得た何かを、過大に評価するのはやめて欲しいと思う。

それはバリエーションに過ぎない。
深みが増したわけではない。
何かを失って、何かを得たというだけの話しだ。
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2006年04月11日

モーガン・スパーロックの30デイズをみた

WOWOWで放送されているモーガン・スパーロックの30デイズで、「イスラム修行を30日間」というのをやっていた。

敬虔なクリスチャンの男性が、慣れ親しんだ家族や友人の元を離れ、“9.11”アメリカ同時多発テロ事件以降、偏見や差別に悩まされている米国内のイスラムのコミュニティで30日間生活してみることに。生まれてはじめてイスラムの側から社会と接することで、彼は自身の信仰心や他宗教への寛容を試され、さまざまな精神的葛藤と向き合う。果たして30日間で、米国内のクリスチャンとムスリムは良き友人となれるのか!?


まぁテレビ番組のやることなんで、大枠のシナリオそのものは決まっていたのだろうけど、出演している一般人がどのような心の変遷をたどったかは、ある程度は本当だろうと思って見たほうが楽しい。
ちなみにムスリムというのはイスラム教徒の事をさす。

ところで出演者の男性は、イスラム教もキリスト教も同じ神を信仰しているという事を知らなかったと言っていた。
それを聞いて「すぐには信じられない」なんてコメントを返していたのは、彼自身がどうであれ、多くのキリスト教徒達はそうなんだろうと思う。

随分昔から衝突を繰り返してきた2大宗教だけど、実はキリスト教側は、イスラム教の事をよく知らない、というのは今でもそうらしい。
そのへんの事情は十字軍時代からたいして変わってないように見える。
本気で聖戦だとか思わなくなった程度には成長してると言えるのだろうか。

盲信というのは恐ろしいとは思うけれども、敢えて誤解を恐れずに言わせてもらえば、そこに力強さの魅力はある。
そこには、剣と魔法の世界にある、光と影の対比と同じような力強さを感じる。

僕が十字軍や中世ヨーロッパに惹かれる理由の一つはそれだと思う。
その一方で、現実にはそこまで無条件な善悪は存在せず、だからこそこのドキュメンタリーのように、互いに理解しあうことが出来る瞬間があるのであって、そのこともまた素晴らしいと感じる。
そして、物語と現実の違いというレベルで、この二つの対比をとても面白く感じる。
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2006年04月05日

ふたたび格差社会とか

希望格差社会からの出口
この記事を読んで、漠然と感じていたものがちょっと見えてきたように思う。

ヨーロッパの文化が好きな僕にとっては、『格差社会』という概念は別に新しいものではなかった。
もともとヨーロッパにはそれがあったし、そういう文化から派生した現在の国々では、格差というのは文化の一部として認識されているような印象を持っていた。
だから格差というのは、あちらでは既にして文化に含まれたものであって、日本のように現在進行形で騒がれる問題ではないのだと思い込んでいたわけだ。
しかしその一方で、ヨーロッパ先進諸国ですら事態はどんどん悪くなる、的な話しも時々聞いていて、なにかの違和感を感じてはいた。

簡単な話しで、現地の事を知らないから、僕にとってはヨーロッパというもの(の精神)が固定的に見えていたのだ。
それを更新する機会もなかったのが、この記事をきっかけに変わったと。

記事を見ると、格差問題は先進諸国の全てが抱えていると言っている。
資本主義がグローバル化を推進し、否応なくみんなが巻き込まれていっている、という事なのだろう。

いろいろ考えあわせると、僕にとってはこういう事だろうか。
ヨーロッパには格差はあったかも知れないが、今やそれでもまだ不十分とばかりに、更に差がひらき続けている。
既に文化としてある程度は根ざしているように見えた国々でもそんな状態なのだから、日本の格差問題もこれから際限なく大きくなっていくのだろう。
しかもこうなった原因は資本主義のグローバル化にあるわけだから、国内で解決しようったって無理な事だ。

他人事として、歴史として見れば、なかなかワクワクするような話しのような気もする。
当事者としての感想は・・・
「ままよ、なるようにしかなんねえ。おらの言うこと分かってくださいますだか?」
このへんが関の山だろうか。
posted by McGand at 21:43| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月01日

ハト

子供によると、ハトは「はぽぽっぽ」らしい。
「はと」だけなら言えるが「はとぽっぽ」は言えない。
伝わるからいいか。

そういえば昨日電車にのっていたときのこと。
となりにいた女性は立ちながらうとうとしていて、ついに手すりからずるっと手をすべらせ、前の席に座っていた女性の頭にチョップをくらわせていた。
そのときの、攻撃を食らった人の顔が、いわゆる
「ハトがまめでっぽうをくらったような顔」
という言葉を思い出させる絶妙の顔だったので、僕は笑いをこらえるのに必死だった。

どういうわけか笑っちゃいけないと思うとよけいにおかしい。
そんな経験はいままでもたいくさんあるが、こればっかりは慣れるもんでもないらしい。

それはともかく、僕はハトがまめでっぽうをくらったところを見たことがないのに、何故そういう言葉の雰囲気をとらえる事が出来るのだろうか。
ちょっと不思議だ。
posted by McGand at 19:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月26日

急進派の神

「ほら、『シュもまじわればあかになるって』・・・アレ、違ったっけ?」

突如ヨメさんが、耳を疑うような事を言い出した。
「それって『朱に交われば赤くなる』の間違いじゃん?」
一応僕はつっこんだのだけれど、なにかとても微妙なものを感じた。

とりあえず僕としては、そのシュには主の字をあてざるを得ないわけで。
「主もまじわれば赤になる」

たとえ神でも環境の影響はばかにできないという意味だろうか。

しかし左寄りの神とはいったいどのような神か。
自己否定から入る急進派の神をイメージすると笑える。
知と芸術の神という事であれば、なんとなく納得も出来そうだ。
いやいや主という言葉を使っておきながら多神教はありえないな。

そんなことが頭の中でぐるぐると回転して、しばらく笑いがとまらなかったのだった。
posted by McGand at 22:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

暴君 絵の具を使う

子供と一緒に絵の具を使って絵を描いてみた。

painting_00.jpg

やはり絵の具を使うのは楽しい。

しかし子供のほうはどうだったか分からない。
最初こそ筆を持ってはいたが、途中から絵皿をならべることに夢中になって、しかも全ての皿に黄色の絵の具を出せと命令してきた。

一旦拒否したがそんな事にはおかまいなしで、いいから出せと身振りで脅迫してくる。
ひどい君主が貧民から租税をしぼりとるようなカンジがした。
このへんからいつもの凶暴さを発揮しはじめてきたように思う。

命令に従うと満足した様子で、その後は絵皿の並べ替えをずっと続けていた。
僕は君主の機嫌を損ねない程度に、こそこそ絵の具を使って落書きしたりしていた。

時々思い出したように、電柱を描けと言ってくる。
実際はただの垂直線を描くだけなので、何の苦労もないのだけど、せっかく描いても特にお褒めの言葉はなかった。
その上からさらに絵の具で線を引いたりしてたので、むしろダメ出しされていたのかも知れない。

こうして、上のコラボレ作品が出来上がった。
絵だけ見ると、親子の良いふれあいの結果のように見えるかも知れない。
しかし実際には今説明した通りの状況だった。

学ぶべきは、たとえ良い絵を見たとしても、それが良い環境で描かれたのだろうなどと安易な発想をしてはいけないということだろうか。
ラベル:
posted by McGand at 19:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

エクスカリバー発見

子供が僕のエクスカリバーを発見して、しげしげとながめていた。
「危ないよ」
と言ってはおいたが、与えてみたい衝動にかられる。
ヨメさんは怒るだろうけど。
posted by McGand at 17:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

指輪物語の時期

今年もまた指輪物語の時期がやってきた。

別にそうしようとか決めているわけじゃないのに、
毎年、何故か指輪物語を読みたくなる時期が訪れる。

そんな事がもう10年以上続いていて、
例によって今年もまた、その時期がやってきたわけだ。

これも病気の一種かも知れないけど、わりと得してるなと思う。
こんなに何度も楽しめるものがある事を幸せに思う。
posted by McGand at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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